アスパラのはしっこの

アスパラガスもすこしだけ作っています。まだ株が若いものが多いので、今年は、出荷はほんの少しでした。
店頭用に束ねて出荷したり、箱に詰めて発送する時には、決まった長さに切りそろえます。うちでは、使っている箱にあわせて23cmで揃えているのですが、切りおとした下のところを捨てるのが惜しくて、ふとくてみずみずしいところは、自分たちで食べています。
先日、道の駅で、この切り落とした部分をふくろにぎゅっと詰めて販売しているのを見かけました。その出荷農家さんはたぶん、販売用にちゃんと、良い切れ端を選んでいるのだとおもいます、みるからに太くておいしそうな、上質な切れ端でした。すっごくおいしいパンの、耳のところの袋詰め、に通ずるものがあります。あれはいいな、冷製ポタージュ作ったりするのにもすっごくよさそう!お料理好きなかたなら、きっと上手においしさを引き出して、お皿にのせてくれるんじゃないかなあ

とれたての切れ端、絶対おいしい。時間が経った切れ端は、もちろん正品には完敗だけど、そもそも、味に限ってだけいえば、問題は形状じゃなくて鮮度、鮮度に尽きます。野菜はすべからくそうだけど、アスパラガスはほんとうに、味覚のやや鈍い私にも鮮度の違いが顕著にわかるので、あらためてガーンとくるものがあるな、などなどと思いながら、今日も切れ端をおいしくぱくぱく食べます

ところで、箱の規格はなぜに23cmなんでしょう?からはじまって、今月は、出荷規格をしらべてみたり、店頭でアスパラの長さ・切り口・束ね方などをじろじろとみながら、個人的に観察をしています。もちろん、23cmは、根拠があって、「間違いない長さ」として決まっていて、それを基準に、流通も、箱の大きさや入り数も、売り場のレイアウトやデザインまで組み立てることができる。その恩恵を私は消費者としてずっと享受してきていたし、流通の仕組みは改めてすごいと思う。

ただし、そのために切り落とした切れ端にも!官能性が!ある!

 

畑っていいなあ、的な、農業に対するうっすらぼんやりした良いイメージ(定型化されて流通しているイメージ)のなかには、意識されているかいないかはさておき、根拠のひとつに、官能性がふくまれているのは確か(だと私は勝手に信じています)。
切れ端に宿ってるこの味も、ぜったいだれかに響くものがあるはず。もったいないな、知ってほしいなと思います。
その一方で、
新鮮でおいしい「今」を、だれかに届けたい、できれば遠くのあの人にも届けたい、損なわれる前にどうか遠くまで、という思いは、そもそも、人間のあさましい欲なのかしら、熱量をふんだんに使って届けるなんて結局貴族のふるまいなのかしら?
「畑に立って手で取って、そこで家族といっしょに食べて、すっごいおいしいね、ほんとうに幸せだね、でオールオッケーだよね!」ていわれたら、私はなんて答えたらいいのかな
と、実はそのへんのところを近頃ぐるぐる考えています。
農業を生業にするってどういうことなんですか、この農園に立って、これからどうやっていきましょうか、という私の課題のキーのひとつに、この問いがあるように思っています。


つまりは、とれたてのアスパラガス、とてもとてもおいしいよ!というお話です。
来年からは、ある程度の量が採れる見込みなので、
次シーズンにはみなさまにもご案内できそうです。たのしみです!